情報無価値時代
情報の価値が無価値に近づいてきている。
実際に、どんどん知識人たちは情報を惜しみなくSNSやブログ、メルマガで発信している。
インターネットにおいても調べれば情報は出てくるし、なにより皆情報は包み隠さず共有していくものだと実感してきている。
もはや企業内だけで情報を包みそして共有を行う時代は終わった。これからは社内外問わず共有を行わなければ、世の中の発展は厳しいと実感しているのではないだろうか。
特に日本も少子高齢化がすすみ、どの企業も人材の確保が難しくなっている。
技術や知識や技を継承するのにある程度の犠牲は致し方なく、また外にも情報を共有して守っていかなければならない。
若い世代ほど顕著に感じていると私は思う。
自分の周りにも年下ほど海外といった外への視線を持つものが多い。
やりすぎ都市伝説の関暁夫はご存じだろうか。
彼は、今からの時代はいかに異なる者の存在を認めるか、昭和的ではなく開放の時代へと向かい特に都心ほどそれが顕著に表れているという。
アウトプットの重要性がこれほど問われる時代もない。
人と出会ったら、SNSやブログでは、どんどん情報を公開していかなければ手遅れになってしまう。
例えば、海外へ行きたいけど金がないという人がいるが、私なんかは治験でただどころかいくらか稼いでイギリスを往復した。
往復の航空券は斡旋した会社が払ってくれた。
田舎といえど東京より高い初任給の有限会社もあったし、新卒から海外に行く経験が与えられる会社も今や珍しくない。
常識では考えられないが「もしかしたらこんなんあるんじゃない?」というのが実際にある世の中だ。
そうした世の中では実力よりもリサーチ力、情報収集力が命運を握る。
もし与えた以上に私たちが得ることができないのだとすれば、良質な情報を得るには良質な情報を仕入れどんどん右から左へと流していくしかない。
今世の中はただ悠然と暮らすのではなく、種の存続のために最悪の想定で動いていかなければならないと本気で考えだしている。
実業家たちーー有名どころで言えばイーロンマスクがスペースXを立ち上げ、アメリカのトランプ大統領は宇宙軍を作ることを決めた。
地球がいつ壊れてもいいよう地球以外の場所に住む選択肢も考えていかなければならないと知識人たちは考えている。
日本的な鎖国的、ムラ社会、空気を読む文化はどんどん廃れていくだろう。
もはや政府ごときではその国そのものを制御しきれない時代に入ってきている。
これからの時代は、わかる人同士が互いにつながり、わからない人は置いてけぼりにあうそんな時代になっていく。