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いがもっちの意外かも 

今まで経験したひょんなことをつらつらと書き述べるもまたいとをかし

『ラ・ラ・ランド』と『君の名は。』両方観た立場からすると……

ニュース・情報


普段の自分なら絶対観ない映画。『ラ・ラ・ランド』。ミュージカルも洋画ラブストーリーもことごとく僕のジャンル外だ。

 

しかし、今回、観させていただいたが、すごく面白かった。

 

今回の件で僕が学んだ教訓は、「食わず嫌いはいけない」ということだ。

 

ところでこんな記事があった。

diamond.jp

 

この記事内容を過激に要約すると、

「両映画とも映像美だけでコンテンツスカスカじゃん。観客が完全に受動に走っていてこのままだと知的レベルが下がる」

という批判であった。

 

新海誠好きの僕からすると、まずそこでイラッとした。

 

さらにライターは、「こうした映画が流行る原因はコンテンツ受動型の機械・スマホの原因だ」と、スマホ批判にまで走っている。

 

僕は、逆にこのライターを批判したい。

 

この記事タイトルを見たとき、はじめは両映画のコンテンツ批判だと思ったが、(若干そういう部分もあるが)そうではなかった。映像美による鑑賞の受動化が批判対象であった。

 

僕が思うに鑑賞が受動化していることは認めるが、「人々の知的レベルが下がっているか」と言われれば、首をかしげる

 

僕は、「思考する土俵が変わった」だけで、「人々の知的レベルは下がっていない」と思う。映画のコンテンツを吟味するのに割いていた思考時間が、他の分野への思考時間に移動しただけだ。

 

例えば、両作品を観たから僕からすると、二つのコンテンツをじっくり吟味するのではなく、

「なんでこの二つの作品がヒットしたのだろう?」

「何がこの二つの作品に共通するのか?」

「今は王道ラブストーリーが流行る時代なのかな?」

「若者の恋愛離れが著しいと聞くから純愛がリアルで少なくなった反動からかな?」

という土俵で思考を進めていた。

 

コンテンツ吟味にかける思考時間は確かに短くなったかもしれないが、それが一概に「知的レベルの低下を招いている」とは言えないのではないだろうか。

 

そんなことを思った次第です。